光と影
凄い国会議員の方がいたものです。話題になった「このハゲ!」の豊田議員です。
東大法学部・ハーバード大学院・厚労省と素晴らしい経歴をお持ちの方です。しかし、光がある所には必ず影がある。光が強ければ強い程、影は濃くクッキリと現れます。輝かしい経歴の裏には底知れない深い闇を抱えておいでなのでしょう。
全ては表裏一体。小さな紙の裏は小さいけれど大きな紙は裏も大きい。
通夜の席でよくこんなお話をします。
皆さんは大事な方がお亡くなりになって深い悲しみに沈んでおいでのことでしょう。でも、その悲しみの裏には故人から頂いていた喜びがある。愛情や御恩や思い出など沢山の喜びを頂いていたからこそ悲しみも同じだけ深いのですと。
出会いの喜びには別れの悲しみが含まれている。
義理でお通夜に顔だけ出してる方はあまり悲しくないでしょ・・・って、これは言わないですが、そんな意味も含んでいます。
野際陽子さんや小林麻央もお亡くなりになりました。
人がお亡くなりになると、その「死因」を訊ねます。癌だったりその他の病気だったり、或いは事故だったりと「死因」は様々です。しかし、仏教ではこれは「死因」「因」とは言いません。「縁」と言います。病気や事故は外的な要因でしかありません。
どんな死であってもその「因」はだだ一つ、「生まれてきた」ことなのです。
生まれてくることには洩れなく死んで行くことが含まれている。
で、何を言いたいかといいますと、全ての事柄には表(自分にとって好ましいもの)と裏(好ましくないもの)があります。
何かを受け入れようと思えば好ましい面と好ましくない面をひっくるめて受け止めなければならない。と云うか、そうする以外には無いのだなと云う事です。