日差しに誘われて(大乗寺坂)
石引と本多町を結ぶ大乗寺坂です。
八坂から嫁坂に来ました。
坂の途中の去年解体中だった家は無くなり、新たに住宅が新築中でした。
車も入れない場所に新築とは珍しいのではないかとに思います。
日差しに誘われて午後から出掛けてみました。
風はまだ冷たいですが、厚着をして動くと少し汗ばむ程で風が心地よくさえ感じました。
ここ数日でかなり雪が融けた気がしますが、市内にはまだまだ残ってますね。
積もった雪は白くて綺麗な気がしますが、実際は空気中の埃などを含んでいて融けた後は埃っぽいのです。
一雨二雨降って埃を洗い流して欲しい。
開花宣言後、お天気が良くなかったり仕事が忙しかったりでなかなか出掛けられませんでしたが、今日は仕事も一段落で昨日の雨も上がりでお花見に行くことができます。友達のNさんを誘って出掛けました。先週と同じく主計町からスタート。
主計町の暗がり坂の桜はもう散りかけています。道路はまるで桜色の絨毯を敷いた様になっていて、風が吹くと花びらが舞い落ちます。
私の下手な写真では伝わりませんが、幻想的と言ってもいい美しさに息を呑む程です。
鏡花の小説の世界観にも通じるのかもしれません。
新しく坂道が出来たらしいと聞き、出掛けて来ました。
鈴木大拙館からスタート。
鈴木大拙館の裏から緑の小径に続く手前にも新しい道が出来ていました。
本多公園が拡張されたみたいです。2月に訪れた時はまだ工事中でした。
緑の小径を通らなくても美術の小径の方に行けるようになりました。
この日開花宣言がでました。
美術の小径の本多公園マイクロ水力発電設備がある所から新しい坂道が出来ていました。
こちらも2月には工事中でしたが、完成して「歴史の小径」と名付けられた様です。
美術の小径と同じく県美の裏側に出る事ができます。
年月が経ってエイジングされればいい感じになるかもしれません。
こちらは美術の小径です。
山の上町にある寺院の参道の坂が「あめや坂」です。
こちらは東茶屋街からは少し距離があり、近くにコインパーキングなどが無かったのでなかなか訪れることが出来なかったのですが、最近近くにコインパーキングが出来たので行ってみました。
こちらの寺院には飴買い幽霊伝説があり、実際にかつては坂の下に飴屋があったそうです。
飴買い幽霊伝説は金沢だけでも、金石・寺町そしてこちらと3ヶ所にあります。全国ではいったいいくつあるのでしょうね。
幽霊さん大忙しです。
母性の尊さを示すちょっといい話として好まれたのだと思いますが、飴屋の宣伝説、墓地の捨て子説、また、外に子供を作った僧侶がその子を寺に引き取る為の理由付説もあるそうです。助けられた赤ん坊は寺に引き取られて後に成長して高僧になったとオチがありますからね。
しかし、この伝説は土葬が前提。藩政期の金沢で土葬が行われていたのか疑問です。
旧国道を挟んで坂道があります。国道によって坂道が分断されたようにも思えますが、藩政初期の古地図でも国道の位置に道がありました。
その坂から続く道は小橋へ続いています。かつては少々地味ながらも商店街で交通量もあったように思いますが、今は縦にも横にも広い道ができたので静かになっています。
周辺の坂道も少しだけ散策。卯辰山山麓寺院群の一角なので寺院が数多くあります。
閑静な住宅街の緩い登坂に沿って土塀や石垣が点在する様は、去年訪れた京都の修学院〜詩仙堂界隈の雰囲気に少し似ています。
馬坂を上って宝円寺の方に進みます。
裏門坂とは宝円寺の裏門にあった坂と云うのが由来ですから、裏門坂に通じる道があるはずですが地図では確認できません。
山門に向かって左の道を進みます。
この道は木曽坂に続いています。
見上げるとこんな感じ。
宝円寺の裏辺りで探しても道が見つからないので墓地の中を調べたらありました。
墓地から裏門坂に続く道です。
裏門坂です。
ん?
黒猫が坂を上って来ました。
怪しい人間に警戒したようで茂みの中に消え去りました。
猫好きオーラが足りなかったみたいです。ごめんね。
坂の上にある廃墟は去年訪れた時には何とか形を保っていましたが、今はもう崩壊していました。
木曽坂から裏門坂方向に向かう分かれ道に木曽坂の碑があります。
馬坂は半年振り位です。
廃墟のような建物があったのが解体されて更地になっていました。
下まで降りて再度上ります。
かなりの急勾配です。
途中に不動尊があります。
本多の森公園から主計町に移動しました。
あかり坂です。
お散歩中?
こちらは暗がり坂。
暗がり坂近くの路地。
久し振りにカフェのオタバさんで休憩。
嫁坂から少し移動して大乗寺坂に来ました。
坂を降りて少し歩くと鈴木大拙館があります。
館内は一部の展示室を除いてカメラOKです。
鈴木大拙館は人気が高く外国の方もよくいらっしゃいます。
大乗寺坂
観音坂に続き八坂(はっさか)・嫁坂(よめさか)に行きます。
八坂を上ると息が切れます。途中のベンチで休憩。
坂の途中の古いお宅が工事中でした。解体なのかリフォームなのか・・
リノベーションしてカフェになったら嬉しい。
八坂
嫁坂
先週、晴れて暖かくもう春になったのかと思うような日がありましたが、こんな日を無駄にしては勿体ないのでカメラ散歩です。
今回も観音坂からです。紅葉時期以来なので3ヶ月振り位。
民家の屋根や道路脇には雪が残ってます。
観音坂を降りて、浅野川沿いの「徳田秋聲記念館」を見学。
ごミュ印帖はこちらで購入しました。
徳田秋聲記念館は館内カメラNG。但し2階から外を写すのはOKと云うことでした。
梅の橋のすぐ近くです。
間隔が開いてしまいましたが11月17日の続きです。
山野草園はこんな感じ。かなり広く続いていました。
山野草園の上まで行くと料亭卯辰の近くに出ました。
卯辰の脇から下る道は「子来坂」です。
子来坂を下って東山蓮如堂に来ました。
蓮如堂の前の狭い階段を降りると観音坂(女坂)に戻れます。
今日はここまで駐車場に戻ります。
広坂界隈から車を置いてある本多の森ホール近くには美術の小径を通って戻ります。
轟々と音を立てて水の流れ落ちる様はどう見ても山奥の渓流です。とても市内中心部の光景とは思えません。
本当に街の中でした。
帰り道、小橋のオタバさんでお茶して帰ります。
オタバさんのアップルパイはココット容器の中にリンゴとカスタードクリーム。それにパイ生で蓋をして焼き上げて出てきます。
熱々です。
西別院前の道を浅野川に突き当たるまで進み右折した辺りに「堀川揚場」の碑があります。
藩政期には船で運ばれて来た物資を陸揚げする揚場だったそうです。また、ここから大河端まで乗客を扱う定期船もあったそうです。
船の乗客や荷揚げの人夫で賑わったのか、「堀川新地」と云う遊郭もあったのだそう。
遊郭付近には当然飲み屋もあり、酔客が帰路の途中で尿意を催し立○○便をしたのが「漏尿坂」の由来・・と云うのは「サカロジー」の著者故国本昭二さんの説ですが、「亀の尾の記」「金沢古蹟志」では付近に良い水の湧く井戸があり、汲んだ水を運ぶ時にこぼれた水で乾く間もなく濡れていたからなのだそう。読み方も「ヨツバリ坂」であるとなっています。
漏尿坂の場所ですが、昌永橋から彦三方向と云うこと。しかし、碑も無くてはっきりとは分かりませんでした。おそらくこの辺りではないかと思われますが、坂と云う程の勾配があるわけではないので判り難いです。